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ペット喜怒哀楽

ぼくのキャノン

書名 : ぼくのキャノン
著者 : 池上永一
出版社: 文春文庫 2006.12.10第1刷 333ページ ¥689
感想 : 2007.4.20 日記に記載

気になった文章:
* 父は紫織に独特の帝王学を叩きこんでくれた。欲しかったブローチを買ってもらった日のことだ。父はそれを捨ててみろといった。できないと拒んだら、奪われてポイと捨てられた。父はこういった。「たかがブローチだ。なくしたって死ぬわけじゃない。本当に大切なものだたら捨てたとき死ぬはずだ。それを見つけるんだ。(中略)「人生はそれを見つけるためのものだ」

* 新聞のラ・テ欄   なんぞや? あぁ、ラジオテレビ欄ね。

* ここにいたら頭がおかしくなりそうだ。四六時中、空が鳴っている。 (米軍、F15戦闘機編隊飛行)

* そもそも自分がオキナワまで来たのは、アメリカの威信が揺らいだ、あの日があったからだ。この日が来るのをずっと待っていたのだ。しかしオキナワの空を見る限り、まだアメリカは君臨していた。

* マカトオバァにだって、キャノン様を上手く扱えないことがあるんだ。それが祟りさ。あれだけ周到なシステムを構築しても、ときどきキャノン様は理解の範疇を超えることをするんだ。まるで村を焼き払う火山の噴火のように。作物をなぎ払う台風のように。大地を揺さぶる地震のように・・・・・・」「まるで自然じゃねえか。」「この村においての自然さ。もしこの村が先ず叱ったら、キャノン様は恐怖のシンボルだったかもしれない。だけどこの村は最高に豊かだ。誰もが未来は明るいと信じている。だから果報のシンボルになったんだ」

* 葬列にむかって、「おかえりなさーい」という。
(ぐそーにおかえりではなくて、村におかえり。この発想、帰ると返るで、日本語ってもしかして?と思わされたのでした。デイゴの木の下に埋めるからなのだけれどね)

* 時に、アメリカ品の被害者なんて、(警察にも)相手にもしてもらえない。沖縄では常に加害者でしかないからだ。
(おお、すごい、池上さん、あんまりこういうこと露骨に書かないのに、登場人物の口を借りてでも)

* 教科書で習った戦争が今も村には残っている。毎日爆音を撒き散らすアメリカ軍機を見ても、そんなことを思ったことがない。雄太が生まれたときに既にアメリカはあった。なんで基地があるのか、そんな疑問を持たされたのは学校教育の中でだ。そこで習った戦争と、側にある基地が連続線上にあると教えられても、ピンとこない。それが鞭の世代と揶揄されようと、雄太にはリアリティがない。

* セント・ガウデンズ硬貨(20ドル) 創作


なんかね、まるでDPRKの話を読んでいるような気分にさせられたのは、寿隊のせい? 喜び組を連想させられたから?
キャノンで象徴しているのは、9条? 安保? 米軍? いろいろと考えさせられるけれど、考えずにストーリーとして読むほうがいいのかも?
駄菓子屋のがちゃがちゃで出てくるもの、駄菓子屋に求めるもの、なんか、昭和世代の郷愁を感じさせられる。著者とは結構年齢離れているのにね。もっとも、戦後世代という意味では共通。ただし、本土の人間として沖縄米軍基地の異常性を感じるのと、日常性になっている沖縄県民とでは米軍の存在のとらえ方が異なる。本土人の方が理念的。



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